2020.11.18
久しぶりに久慈男体山から鷹取岩経由で釜沢越までの縦走を行った。
あいにく気温が高く暑苦しい登山になってしまったが、ところどころにはモミジの葉っぱが、彩を競っていた。このへんのモミジは、一斉に紅葉するのではなく、ばらばらであり、緑、黄色、赤とMix状態である。京都の神護寺で見た全山真っ赤とはいかないが、それはそれで違った趣を楽しむことができた。
一周11㎞、5時間、累積登高1000mの久慈男体山縦走でした。
スタートは大円地から、健脚コースに向かう。このコースは、最初から急こう配が続きすぐに結構しんどくなる。暗い杉林を抜けると大きな岩がゴロゴロしている谷間に到着する。ここには、モミジの大木があり、期待感があったが、ほとんどの木は緑のままである。しかしながら一部は赤、黄色に染まっている。
鎖場が始まり、急登にあえぎながら50mほど高度を稼ぐと尾根道に出る。下界を伺うと、茶色に染まったなら、ぶなの類の紅葉があたりの山肌を染めている。ここから頂上がすぐそこに見える。すぐそこに見えるが、勾配がきつく仰ぎ見る必要がある。高度的には、半分のところであり、まだ200mあまり登る必要がある。
ここからは、鎖場に次ぐ鎖場。足にもこたえるが、腕の力も必要。背の低い木々の下をくぐるように登ってゆく。久慈男体山は、20年ほど前に山火事があった。火事の後は、低い背丈の木々は燃えてしまいあたり一面真っ黒であったが、今は灌木もすっかり再生して、火事があったことなど想像ができない。
やがて、岩の割れ目に沿うように登るようになると尾根は近い。
登り切ったあたりに大きなブナがあったがいつのまにか枯れてなくなってしまった。眼下には、長福の集落がおもちゃみたいに並ぶ。
頂上には、5~6人の登山客が休憩中。気温が高く、あたりがかすんで眺望があまり効かない。
少しの休憩後、縦走を開始する。ここが最高点で、釜沢越まで基本的に下る一方であるが、実際にはアップダウンが果てしなく続く。ここまで450mの登ってきたが、これから500mほど更に登る必要がある。1000mの登山になってしまいそれなりに構えてしまう。
大円地越までは、たくさんの登山客があるため、道がほこりっぽくなっている。
大円地越を越えると途端に道が細く踏み跡が少なくなる。
既に足に来ているが、少しづつ登り返すと岩だらけの小さなピークに達する。下を見るとモミジの谷である。
さらに、時にはきついアップダウンを何回か繰り返すと古い林道がある小草越に到着。林道を下りてゆくと新しい林道にぶつかる。最悪のエスケープルートになるかもしれない。持方集落に行くことができる。
ここから、西側に、大円地の蕎麦屋さんの裏手に降りてゆく道があったが、今は使われていないようで、荒れている。10年ほど前に無理やり降りて行ったことがあるが、荒れ放題であった。おじいさんが整備していた道だが最近はだれも使わないとは蕎麦屋さんのご主人の言。
ここからは基本的に絶壁の縁につけられた道を歩むことになる。右は絶壁、左は植林ができるほどの勾配である。左すぐ下には湯沢川が流れている。この時期水量は少ない。
右眼下の絶景を楽しみながら行くと前方に岩峰が現れる。入道岩である。その向こうには鷹取岩の絶壁。
鷹取岩の手前には厳しいのぼりが待っている。ステップを切った岩壁を登るのであるが、冬には氷が張っている。
登り切ったところが鷹取岩。目の前に入道岩、はるか向こうに久慈男体山。このルートの絶景ポイントのひとつである。鷹取岩は10年前の地震で、一部が垂直に崩落してしまった。割れ目があったが、その向こうがすっぽりないのである。その昔崩落した場所でラーメンを作ったのを思い出す。
ここまでくる登山客は数少ないが、それから先釜沢越まではさらに足跡がか細くなる。この時期、落ち葉に覆われて、時には道を見失いやすい。案内の看板も少ない。とにかく、崖の際を歩くようにルートをとればよい。
何個かピークを越えると道が極めて急な下り坂になる。釜沢越が近い。峠を右に降りて、杉林の中を下る。このくだりが、また急で、摑まるものもない。ストックでブレーキを確保しながらそろそろ下る。
杉林が終わるとストレスのない山道になる。このまま林道まで降りてゆき、大円地まで、帰る。疲れ切った足での林道の歩きはつらい。
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大円地越から登り返し振り返る男体山
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釜沢越の小さな神社の祠。山桜の大木の下にある。正月にはお神酒が供えられる。
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釜沢越(十字路)。東に緩やかに降りてゆくと湯沢峡。南側は、湯沢峡の不動滝の滝口につながる。西側の急坂を下りる。
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林道から見上げる鷹取岩と入道岩。
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